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墨の歴史 中国編


漢時代


 ←墨丸と硯

墨がどういう原料で作られ、どのような型のものであったかという事は一番興味のあるところでありますが、中国で1975年に発行された「文物」に江陵鳳凰山168漢墓より出土したものとして円面硯、磨石、墨片が掲載されていますが貴重なものであり、これが発見された時には、そばから墨書きされていない木柵があったと報告されています。

漢時代には、木簡、竹簡などにすで墨書きされたものが多数発見されており、墨があったことは間違いありません。この当時の墨がどのような形のものであったかを探るもう一つの手がかりとしては硯があります。

大正5年(1916)、朝鮮楽浪郡址の古墳発掘が行われたときに熊脚三個の円形の石硯(直径13.2cm)や墨を磨るのに用いられたと思われる類のものが発見され、昭和6年には同じところから硯箱をともなう硯が発見されています。ここで墨がその当時どのようなものであったかを探ると、まず第一には、小硯というのが特徴で、きわめて小さな物だったという事が推定されるのであります。この「文物」掲載の墨を見てもその様子はうなづけます。

この当時の硯は、墨池のない平面なものであるといわれていますが、いずれにせよ大きさは小硯という点で共通しています。硯があって、墨が小さかったので磨るときに、補助用具を用いたのではないでしょうか。

書物によれば、漢時代の「東宮故事」には、「皇太子が初拝する時には、香墨4丸を給する」と書かれ、宋時代に書かれた書物といわれる「宋稗類鈔」には、「魏晋の時に至りて始めて墨丸あり、すなわち漆焔松煤を夾和してこれを造る。晋人の凹心硯を用いるわけなり。墨を磨し藩墨汁を貯めうるのみ、これより螺子墨あり、また墨丸の遺製なり」とあります。

ここまでの記録で注目すべきは丸という言葉でありますが、これは小さく丸めた球状をあらわしていますが、近年、丸い円盤状のものも出土しており地方によっては一概に丸い球状のものとは言いがたくなっております。また、糊南省長河から筆とともに発見された小竹簡は、墨をいれたものとの報告がありますが、もし墨が墨丸であったとすれば、うなづけることであります。漢時代には、筆も発見されていますがその筆も今日のように太いものでなく、この時代は、小硯、小墨、小筆の時代であったように思われます。

さて、形は小さな物であったとして、その原料は、どのようなものであったか。宋時代の晁貫之という人の著した「墨経」によれば、「古は松烟、石墨の二種を用う。石墨は魏晋より以後聞く事無し。松烟の製はひさし。漢は扶風、ゆうび、終南山の松を貴ぶ。蔡質漢官儀に曰く、尚書令の儀、丞、朗月に”ゆうび”の大墨一枚、小墨一枚を賜う」とあります。このことから、原料は松煙であったと推定されます。また前に述べた江陵鳳凰漢墓出土の墨も松煙だったと報告されています。

漢時代になると紙が発明され普及するようになると、必然的に文字も大きく書かれるようになり、墨丸では間に合わなくなり、硯を用いて磨るようになったと考えられます。それによって墨の形も球状から把手に向いた長方状になっていったものと思われます。しかし、今日では、それがこの時代に実在したという証拠は見当たりません。


 「The 墨」 松井茂雄著(前墨運堂社長) 日貿出版社  より